旬を味わうことが粋だね!

今週のお題 : ごはんの友

最近 仲良くさせていただいているお友だちと、
メールのやりとりをしていると、
そのお友だちが、
新潟の新米をおすそ分けしていただいた
という話題になりました。










いいなぁ〜。
と思っていたら、

炊きたてのふんわりしてピッカピカの米粒たちが
一粒一粒主張してる!
幸せだぁ

と写真付きのメール。
確かに、美味しそう!










想像力の源流から
目の裏側を通って…









ふわっとたち上る蒸気とともに
ぱぁ〜と広がる薫りが
脳内にも満ちあふれました。









ご飯の最良の友は
おそらくあの馨しさ^−^
あの薫りは
お米のあまさを最高に引き立てると思います。










持ち前のあまさゆえ
塩気が深みを増幅させるのか…。
お友の代表は
そういうものが多いですね。








でも、やはり、
人はそれぞれにさまざまな人生を歩み
いろいろな経験を重ねていますから、
思い出の友となると
そうとは限りませんよね!









私のご飯の友の思い出は「油揚げ」です。










私がまだ小学生の頃、
うちに祖父母が遊びにくるときは、
決まって手巻き寿司でした。
いつもぶっきらぼうな父が、
大きな手で
それほど大きくないおひつを押さえ
小さなしゃもじで酢飯をきっている…
そんな風景が印象に残っています。









でも、手巻き寿司は
やはり、
祖父母というお客さまがくるときの
もてなしでした。
うちがお寿司というときは
決まっていなり寿司。
父親のぶっきらぼうな手を印象的に思ってるのは、
それゆえでもあります。









母親が甘辛く煮た油揚げが
十分に冷めていなくても、
私たちの「早く食べたい!」という熱烈な視線に応えてか
父親は、まだ熱いであろう油揚げの煮汁をきり
大きな手に
十分のご飯をつかんで
その油揚げに詰めていくのです。









市販のサイズの何倍もあるいなり寿司は
小さい頃の私たちにとっては
味・大きさともに
十分な贅沢でした。









油揚げの煮上がる薫りは
いなり寿司ができあがる薫り…
父と母のコンビが織りなす
絶妙の友なのでしょう。
照れくさくて
決して本人の前では言えませんが^^;;









春には春の
夏には夏の
秋には秋の
冬には冬の
独特の匂いがある。
匂いと思い出、匂いと味覚はセット。
だから、人の数だけ味がある。









4月になると、
人々はいろんな「新米」として
節目を新たにします。
秋の頃にはその節目にも慣れ、
成熟してく…。
今年の自分はどうだろう。









新米は
友とともに、
互いにひきたてあえているかなぁ。
新たな年を迎えるころには、
喜び合える仲間の友になりたい!